こんにちは、キックボクシング歴4年のナス・カズオです!
今回は、今だに大好きな尾崎豊が10代でリリースしたアルバム3枚から個人的にオススメの曲を2曲ずつ紹介。まだ聞いたことがない人は是非聞いて見てください!
またウィキペディアを参照せず、うろ覚えの尾崎豊のエピソードも語っていきたいと思います!!
【目次】
- ファーストアルバム『十七歳の地図(SEVENTEEN'S MAP)』
- セカンドアルバム『回帰線(TROPIC OF GRADUATION)』
- 10代最後のアルバム『壊れた扉から(THROUGH THE BROKEN DOOR)』
- 何故、尾崎豊のアーティスト写真はモノクロなのか?
- まとめ
ファーストアルバム『十七歳の地図(SEVENTEEN'S MAP)』
きっかけは兄貴の部屋から聞こえたハイスクールロックンロール
92年に亡くなっているので、当時僕はまだ9歳でリアルタイムで体験してませんでした。尾崎豊の曲を知ったのは兄の影響でした。
中学生1年生の時、朝の眠い目をこすり野球部の朝練にいく準備をしている時に聞こえたのがこの一節でした。
Oh 朝は目覚めても昨日の疲れ引きずったまま
様にならない制服着ておもてへ出るよ
「まさに俺やん!親がどうせ身長伸びるからって、着ているブカブカな制服着てる俺のこと歌ってるじゃん!!」
なんか新しいような古いようなロックのリフに痺れました。
Rock'n'Roll 踊ろうよ
Rock'n'Roll くさらずに
Rock'n'Roll 手を伸ばせな自由はあと少しさ
Rock'n'Rollと繰り返すサビ。「手を伸ばせば自由はあと少し 」という歌詞を、ゴリゴリの坊主頭を触りながら噛み締めたものです。
「てか、俺メチャクチャ規則に縛られてる。がんじがらめじゃん」
抑圧された中学生活、部活の上下関係、尾崎の歌を聴くと少し開放されて自由になれた気がしました。
思い出すと死にたくなる中学の卒業文集のタイトルは『僕が僕であるために』
尾崎が最後のコンサートで弾いた、エレアコのオベーションの弾き語りスタイル。白シャツにジーンズ。飾らないけどメチャクチャ似合っててカッコ良かったです。白シャツにジーンズが似合うのは『尾崎豊』『ジェームスディーン』『白洲次郎』の順番ですかね。
中学3年になると完全に尾崎豊にかぶれていた僕の卒業文集のタイトルは『僕が僕であるために』でした。
完全に「アウト〜ッ試合終了〜!」です。まさに黒歴史の見本のようなエピソードで笑けてきます。
慣れあいの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから
という一節が僕は一番好きです。「俺についてこい!」っていう男らしさじゃなくて、「君のこと大好きだけど、俺には君の未来を導いてあげることができない」という、ナイーブな男の優しさが感じ取れます。自分が無力なことを認めるのはとても勇気のいることですよね・・・10代にしてそれを歌い上げる尾崎の繊細さ優しさにグッときます。
尾崎豊は卒業間近で高校を中退してます。高校の卒業の日に新宿ルイードでファーストコンサートを行ってます。高校の周りの電柱にコンサートのポスターをはり、そこに「皆んな卒業までよく頑張った」的なことを尾崎が自筆で書いたそうです(※うろ覚え)。
セカンドアルバム『回帰線(TROPIC OF GRADUATION)』
30代になって『Scrap Alley』の歌詞を読むと泣いてしまう
転職をして、茨城や長野、新潟に行くんですが首都高や常磐道を走る時ついついこの曲を口ずさんでしまいます。
二人で中古の車に乗り込み ハイウェイを飛ばすお前は
明け始めた眩しい朝日に 祝福された
俺がいくつになると 子供はいくつになるだなんて
一度ヘマしたあの時も 同じように話してた
夜の高速を車の窓を開けながら、この一節を歌うのが最近の僕のルーティンです(笑)
後期はサックスなのですが、まだ未発表曲だった時、間奏で吹く尾崎のブルースハープがメチャクチャかっこいいです。
昔はチンピラだったと 笑うおまえ
少し淋しく うつむいた
昔みたいな事じゃ もう笑えやしないと
最後にお前は 何度も歌った
「子供もできたし、昔みたいにもうヤンチャはできない。でもあの頃の気持ちは忘れたくない」そんな尾崎の友人の心情を歌っているのではないでしょうか?
Say Good-Bye Scrap Alley
Say Good-Bye 一人ぼっちのアクセル ON
Say Good-Bye おんぼろギター
Say Good-Bye 擦り切れた Rock'n'Roll
尾崎は中学の時に仲間たちと家でをしました。きっかけは確か、些細な事で仲間が教師に強制的に丸刈りにされたことに対する抗議だったと思います。家出の最後にたどり着いたのが「車のスクラップ工場」でした。その時の仲間へ向けた歌がこの歌だといわれています(めちゃくちゃウロ覚え)。
尾崎にとってRock'n'Roll は「自由」「青春」の象徴なのかもしれませんね。
公の場で尾崎が最後に歌った「ダンスホール」
CBSソニーのオーディションで歌われた非常に重要な曲です。16才でこんな大人びた曲を作れるのが驚きです。
あたいグレはじめたのはほんの些細なことなの
彼がいかれていたし でも本当はあたいの性分ね
学校はやめたわ今は働いているわ
長いスカートひきずってた のんびり気分じゃないわね
少し酔ったみたいねしゃべり過ぎてしまったわ
けど金がすべてじゃないなんて
きれいには言えないわ
初期の長渕剛もそうですが、男性が女言葉で歌うのってなんかいいですよね。今、あたいって一人称使う女性っているんでしょうか?ダンスホールって賑やかで騒がしい場所ですけど、集まっている人は心の中に誰にも喋れない様な孤独を抱えているんでしょうね。
尾崎の最後のコンサートのアンコールで歌ったのがこの曲です。歌ったあと「また、どっかで会おうね」と言った尾崎のセリフがその後のことを思うと、すごく切ないですね。
10代最後のアルバム『壊れた扉から(THROUGH THE BROKEN DOOR)』
尾崎が幼少期過ごした練馬区のグランドハイツに関して歌った『米軍キャンプ』
連合国軍に接収された練馬の成増飛行場は「グランドハイツ」と呼ばれ、何千人もの米軍関係者が住んでいたそうです。米軍相手の飲み屋で働いている女性について歌った曲だと僕は勝手に想像してしまいます。
僕は今、練馬に住んでいるので光が丘に米軍の居住区があったことに、驚きました。
お前はあんまり 上品に笑わなかった
人混みの中では 一言もしゃべらなかった
求め合う夜は 傷をなめるように 愛を探しては
二人で毛布にくるまって 眠った
飲み屋では道化師を演じるように下品に笑っていたのかもしれません、街の歴史が彼女に深い影を落とし、人ごみの中では自分を守るように一言もしゃべらなかった、いや、しゃべれなかったのではないでしょうか?
昨夜は店の客にせがまれて 海へ行った
ケンカばかりしてて つまらなかったと笑う
知らない男の名前を お前が口にする夜
涙ではらませた男の リングが光ってた
米軍兵士と永遠の愛を誓ったが、兵士は祖国に婚約者がいて、その誓いも叶うまま祖国に帰ったのでしょうか。
Oh おまえはこの街を呪い
かたくなに夢を買い占め さまよってるだろう
Oh こんな夜は 報われぬ愛に
失ったおまえを 抱きしめたい
傷ついた心は癒すことはできないけど、抱きしめることしかできない男性の心情が悲しいです。
3枚目のアルバムは「10代の反抗心」や「ストレートな愛」「本当の自分を模索する」ような曲は影をひそめ、20代に向けて成熟していく尾崎の内面が反映されている曲が多いような気がします。
自分の未来を予見してた?贖罪の曲ともいえる『彼』
尾崎が覚醒剤で逮捕されてしまったのは有名ですが、それを予見した曲だといわれている『彼』。
やがて遠く 街をたどると
水たまりのぞきこみ 闇をなげた
無口にならべた Drug
ほら 上も下もないさ 求めるとは失くすこと
つながるもの否定すれば 過ちに傷つくだけ
彼は最後に祈った すべて許されることを
求めるものが多い分、失くすものは多くなる。つながるもの(仲間)を否定すれば、
その過ちに傷つくだけ。求めすぎた自分、傷つけた仲間、過ちを犯した自分。すべて許される事を歌ったのが『彼』だと、僕は勝手に解釈してます。
何故、尾崎豊のアーティスト写真はモノクロなのか?
楽曲の持つ荒々しさや繊細さ、そして未完成の若さを伝えるのにはモノクロを徹底させるべきだと思いました。それに、当時の日本のアーティストは当然みんなカラーでジャケットやアーティスト写真をつくっていたわけで、その中で目立つんじゃないかと思いましたね。
「M-ON! MUSIC 田島照久インタビューより引用」
モノクロのアーティスト写真のお陰で、尾崎の印象はいつまでも色褪せず、みずみずしいままですね。大人になって聞いても尾崎の曲が新鮮なのはこのアートワークが少なからず影響を与えているんじゃないかと思います!
まとめ
いかがでしたでしょうか?中学生や高校生にぜひ聞いて欲しいアルバムです。また、大人になって聞き返すと、また10代の頃と違った感想や感情を持つかもしれませんね。アマゾンアルティメットの会員は3枚のアルバムすべて聞けると思いますので、是非聞いてみてください!!
以上
ナス・カズオでした!
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